座右の銘シリーズ
骨折り損のくたびれ儲け
小さい頃からこの言葉をよく耳にしました。なぜかというと私の上の姉(私、三姉妹の末っ子)が本当に面倒見が良く誰にでも親身になる人なんです。ですから、何かにつけて良く働くのです。人が良すぎるとも言えるほど。何でも引き受けちゃうんです。だからみんなに気を使いすぎ働き過ぎで疲れ切っちゃうこと度々。それを見て、私たちのお母さん
『また〜、骨折り損のくたびれ儲け』
と言っていたのを覚えてます。多分、こうやって姉が一生懸命に誰かの為に尽くす人だと見てそれを利用する人もいたことでしょう。そんな人ばかりだったとも思いません。でも、こういう場面を繰り返し見てきた私は、子供ながらにちょっと冷めた目線で、私は
『一生懸命になりすぎないでいよう』
と感じていました。
それから何年も経って、結婚もし、子供達も生まれてから、ある方のブログで
『楽しいは一生懸命』
と言っているのを見て、えっ!と思ったのです。 ちょうどその頃、毎週日曜日は何組かのお友達家族と集って、山の家で過ごしたり、バーベキューしたりすることが多かったのでした。毎回、楽しく過ごしたことを思い出します。
例外に漏れず大人数になると良く働く人、何にもしない人が出てきます。私は他の人が動いてるのに、座ってることが出来ないたちなので、結局 夜、家に帰るとくたびれ切っていたのでした。 そんな時あの言葉『骨折り損のくたびれ儲け』が頭の中に浮かんでくるのでした。
楽しかったはずなのに、なんで損した気分になるのか?どうして、みんな同じように行動できないのか?モヤモヤした気分になっていました。
楽しいは一生懸命
この言葉、未熟な私には目からウロコ状態でした。一生懸命何かをするからこそ、結果として楽しいという満足感が得られるのだと。なんて当たり前のことが分からなかったのかと! 適当にやっていたら適当な満足感しか得られない。他人の行動はどうすることもできないけど、自分のことは自分で変えられる。考え方、見方を変えるだけで全然まわりの景色が違って見えてくる。
それからは、『骨折り損のくたびれ儲け』ではなく、骨折りをするのは自分がしたいから、くたびれたのは自分が一生懸命何かをした、楽しんだからと思うようになりました。そうしたら、なんか気持ちが楽になったし、些細なことを気にしなくなりました。100%そうとも言えませんが(>_<)
この言葉、よく自分に言い聞かせています。
自己暗示?自己満足?
特に思い通りに結果が出せなかった時とか自分をなぐさめるために結果はイマイチでもそのプロセスは良かった、楽しかったと。まあ〜、どちらにしろ自分次第ということには変わりませんね。
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